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【オーディオ】オーオタは音楽を聴いていない?よくあるオーオタ批判について【異常】

この世にはオーディオ機器を複数個所持していて、オーディオが好きな人、いわゆるオーディオオタク略してオーオタという生き物がそこそこの数生息しているのですが、一般人からの反感を買いやすいらしく、彼らに対する批判がいくらか見受けられます。

「オーディオオタクは音楽を聴いていない。」というのもそういった批判のうちの一つです。これがどういう意味かといいますと、あくまでも私の予想に過ぎないのですが、「オーオタはオーディオの音を聴いているだけで音楽を聴いていない。」とか「オーオタはオーディオに気を遣いすぎて音楽を楽しめていない。」とかそういう意味なのだと思います。

しかし、こういう意見には、私は同意できません。彼らはオーオタのオーオタという一側面だけを取り上げてこういった批判をしているだけに過ぎないのです。本来、オーディオは音楽を再生するいち道具に過ぎません。主役は音楽であってオーディオではありえず、永遠にこの関係が逆転することはありません。

およそすべてのオーオタたちは、音楽好きが高じてオーディオをはじめたはずです。音楽が好きだから楽器を始めた、作曲を始めた、というのと同じようなもので、音楽を愛する気持ちの発露の方向性が違うだけのことに過ぎず、オーオタの本質は演奏家や作曲家などと何ら変わりありません。

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では、なぜこういった批判がオーオタだけに寄せられるのでしょうか。

音楽は、かつての上流階級による独占から大衆の手に取り戻されました。今や誰もが、どこでも音楽を楽しめるようになっています。音楽はYoutubeなどで無料で聴くことができ、またSpotifyのようなサブスクサービスの登場により月々1000円という価格で数千万曲という膨大な音楽を手にするようになりました。大量に音楽を聴く、音楽愛好家は、一曲あたり数円という超低価格で音楽を浴びるように聴くことができます。音楽をほぼ無限に、ただ同然で楽しめる時代なのです。

このように音楽に対するハードルがとても低くなったここ最近の社会に身を置く一般人の目には、オーディオ(音楽を聴く装置)に数十万円という大金を払うということはかなり異質、いや異常にうつってもおかしくはないです。

しかし、異質なものを叩くという人間の排他的な心理だけでは、上記の「オーディオオタクは音楽を聴いていない。」という批判に至ることはないと思います。せいぜい「オーオタは頭がおかしい。」とかその程度の批判にとどまるはずです。オーオタは音楽を聴いていないなどという風な批判はあまりに飛躍しすぎています。

そこで考えられるのが、”嫉妬心”です。すなわち、高価なオーディオを買えない者(批判者)の、高価なオーディオを買えるもの(オーオタ)に対する嫉妬の気持ちです。

これは、音楽を高音質で聴きたいという願望の裏返しです。しかし、自分にはとても高価なオーディオ機器は買えない。だから自分とは対照的なオーオタ批判を繰り広げ、オーオタ及び高級オーディオを貶すことで自己を正当化しようとします。これは”酸っぱい葡萄”と同じです。「俺達は音楽を純粋に楽しんでいるんだ!」などと言ってオーオタと自分を対比させて、仮りそめの優越感を得ているわけです。そういう批判は滑稽です。かなり必死感が伝わりますし、心の余裕が無いように見えてしまいます。

当たり前ですけど、オーディオに興味がない人はオーオタに興味なんか持ちませんし、それならばオーオタ批判もするはずがありません。つまるところ、彼らは、本当はオーオタが羨ましいのです。

とはいえ、オーディオが買えないというのは普通の感覚です。オーディオは高価な物で、良い音楽鑑賞を目指すのなら、10万円、20万円は基本です。たかが音楽を聴くための装置に20万円というのは馬鹿げているように思えるのは当然なのです。日本の大卒初任給が18〜20万円ですし、平均年収は400万円程度でから、20万円というのは年収の5%に相当します。当たり前ですけどめちゃくちゃ高いです。一般人にとって、オーディオ機器をぽんぽん買うのは普通に考えて無理です。私もおいそれと買うのは無理です。

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それでは「オーオタは音楽を聴いていない。」という批判に少し反論したいと思います。

そもそも、普通に音楽を聴いています。初めの方にも書いたように、オーディオはただの音楽再生装置です。どんなに高価であろうとその域をはみ出すことはありえません。仮に彼らの主張を受け入れるとすれば、オーオタは突然オーディオを始めたことになります。オーオタも元は一般人なので、オーディオとの接点もなしにオーディオを始めるとは考えづらいです。一般人が突然オーディオ機器を買いまくるようになるというのはかなり不自然なことだと思いませんか。むしろ、音楽を接点にオーディオに触れてオーディオに興味を持った、というふうにう考えるのが自然です。

やはり、オーディオは音楽なしでは成り立たないので、いかにオーオタたちがオーディオについて語っていたとしても、それは音楽をより良く聴きたいという願いからのものなのです。

音楽の大衆化に伴い、音質は劣化し続けています。音楽とは、始めは生演奏であり、次にレコードやテープといったものに記録されるようになり、CDにデジタルで記録され、2000年代にはいよいよ音楽は家を飛び出し、文字通り人々の手の中に収まるようになりました。貧弱なストレージのために音楽は圧縮され、今ではストリーミング再生時の通信容量節約のために圧縮されます。音楽の大衆化の歴史は音質劣化の歴史と殆ど同義と考えても良いと思います。

そして今や音質に気を遣う人はいよいよ少なくなっています。劣悪な音質に耳がなれてしまったからです。それでもどこかに「いい音で音楽を聴きたい」という思いは残っていて、それがために”付属からのステップアップ”と称したイヤホンたちも売れるのです。

そういった思いが極度に肥大化したのがオーオタであり、それを批判するのはどうかなと思います。誰でもオーオタの素質があるのです。その素質は普通、様々な制約のために、発芽することはありませんが。

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しかし、オーディオが好きなのも事実です。オーディオをいじくり回して、音の変化を楽しむ、試行錯誤することも音楽と同じくらい楽しいし好きです。こういう傾向、すなわち手段(音楽という目的に対するオーディオ)を目的化して楽しむ事はオーディオに限らず、どこにでもあることです。例えば、自作PCという趣味がありますが、PCはある目的、動画編集とかゲームとかのための道具です。車やバイクという趣味もあります。本来、車は移動手段で、目的は移動することなのですが、車そのものが好きでいじくり回してカスタムしているという事は普通のことですし、非難もされません。極端な話をすれば、ファッションもこういったことと同じです。服は身体を寒さや日差しから守り、健康を保つことを目的とした、手段に過ぎません。手段と目的の関係を忠実に守るのであれば、全人類はジャージを着るべきです。ジャージは動きやすくて便利ですから。しかし、世間はそうではありません。街に繰り出せば、種々多様の服に身を包んだ人々の往来を目にすることが出来ます。なぜでしょうか?けだしそれは、ファッションが自己表現の一種として認められているからです。車もそうです。車が純然たる移動手段であるならば、全人類はプリウスに乗るべきです。

自己表現は人の自然な欲の一つであり、人は様々な形で自己を表現します。

同じように、オーディオもそういった自己表現と自己実現の一種だとは考えられませんか。人それぞれ音楽の好みも違えば音の好みも感じ方も違うわけで、完全に同じ機材を選ぶことはなかなかありません。Twitterで自分のオーディオを晒しているのを見るに、オーディオも自己表現であると考えても良いかと思います。

 

かなり飛躍してしまいましたので、この辺にしておきます。

まとめると、オーオタは普通に音楽を聴いています。当たり前です。

あと、あたかもオーオタ全体を代表するかのように発言してしまいましたが、これらの反論は飽くまでも私個人に関係することであって、オーオタの普遍的な心理ではありません。

 

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