ヘッドホンでオーディオ!

ヘッドホンでオーディオを楽しむブログです。

Rupert Neve Designs RNHP レビュー【ヘッドホンアンプ】

 RupertNeve RNHPはミキシングやマスタリングをする人向けの、どちらかといえば業務用機器的な、あるいはDTM機材みたいな立ち位置であって、オーディオマニアをターゲットにしているわけではないのですが、音がとても良いと評判でしたので購入しました。

外観

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 シャーシは鉄製の薄い板で出来ており、爪で叩くと甲高く鳴ります。高級なオーディオ機器に見られるような分厚いアルミ削り出しで音質に拘ったとアピールする様な雰囲気はありません。見た目ではなくあくまでも音に注目せよと言わんばかりの質実剛健の仕事道具的デザインです。こういうところはDTMerがよく使うオーディオインターフェイスっぽいです。が、オーディオオタの視点では、こんなので大丈夫かと心配になったりします。

 アンプやDACにとってもとても大切な音質決定要因となるインシュレーターですが、こちらはただのゴム足です。

シンプルなゴム足とよく鳴る鉄製シャーシとは随分と割り切ったものだなと思いますが、プロや楽曲制作者にはこれで十分なのでしょうね。 

f:id:CrepidA:20200925002802j:plain ボリュームノブはアルマイト加工の施されたアルミ製でさらさらとした手触りです。回し心地は重めですがオーディオ機器っぽい滑らかさと高級感はありません。

 オーディオ機器には見た目に楽しく美しく、触って心地よくが求められていると思いますが、そういったオーディオ機器らしさみたいなものは全く無いです。このRNHPはあくまでも業務用であり嗜好品ではないということを、その外見が物語っています。

音質

ここに書く音の印象は電源に対策を施した状態でのものです。後述する電源の項も見ていただけると嬉しいです。

 はじめて音を出したときには呆気にとられました。そのあまりにストレートで迷いのない、素直な出音に「あれ、こんなに色が薄いのか」と。はじめこそ、そのモニターライクな音に退屈さを覚えていましたが、数日の間に印象はがらりと変わりました。

確かに無味で色彩感の薄い音なのですが、そのうちに物凄い生々しさを感じるのです。オーディオ的脚色がない分、音楽に内包される生命力みたいなものをスポイルされずにダイレクトに聴こえてくるのだと思っています。

 

 RNHPの性能は素晴らしいものです。まず、全帯域に渡る高い解像度。細密画の様な、膨大な情報量を持ち、とても緻密でシャープ。微細な信号も見逃さずに耳に届けてくれます。だから楽器同士の分離も奥行きもはっきりと「見える」のです。様々な楽器の音が混じり合うオーケストラの録音で、注意深く耳を澄ませると、一つの大局的な音楽の中にある細かな演奏の機微が見えてきます。この機材には、埋もれてしまいがちな音の一つたりとも取り漏らさない正確さがあります。そういう意味でトランスペアレントな音です。

 低音の方も下の方までぐっと伸びます。細身で量感は無いですがスピードが速く、瞬発力も素晴らしい。もりもりの量感たっぷり低音よりも、こういうハイスピードな低音の方が腹に来る低音の”重み”を感じやすいんじゃないかなと思います。(低域はケーブルによって差が出やすいような気がしています。)

また、定位の良さも見逃せません。楽器やヴォーカルの輪郭がとてもはっきりしています。きちんと、滲みなく音が定位しているので楽器の位置関係の把握もしやすいですね。

 

 このアンプには個性と言われるものが無いか、ほとんど無いです。このアンプは極めて純粋な増幅装置なのだと思います。音には一切の誇張がなく、自然そのもの。
濃厚な色彩や、艶やかさも特定の帯域を強調することもなく、モノクロームに近いです。だから、その出音は端正そのもの。上述の基礎性能の高さとも相まって、RNHPは音楽に対して完全な第三者として振る舞っているといえるでしょう。しかしながら、それでもなにか感じるところはあって、若干明るめのトーンに有機的な潤いがわずかにあります。

 

このように高性能だと、上流に対する要求も厳しいものになると思われます。DACの素性、粗、そういったものを暴いてしまう、シビアーなヘッドフォンアンプです。当然、ケーブルの変化にも敏感に反応するので、吟味が必要だと思います。
DACの音とは、普通いくつかのアンプを繋いだ結果から抽象されて把握されるものだと思います。そうして把握されたDACの音とRNHPを通した音は非常に近いです。)

 私の機材では、多分、RNHPの性能の全てを知ることは出来ていません。システム全体の性能すなわち音の視野の限界はヘッドホンによって規定されます。ヘッドホンの性能の限界が「見える」範囲の限界です。ヘッドホンの性能を超えたアンプやDACを使ってもその真の実力は見えてこないです。RNHPの限界を知るにはより高性能なヘッドホンとDACでないといけません。
補足:勘違いしないで頂きたいのは、無個性だけがモニター機器として評価される条件ではないということです。何よりも性能が大切です。性能とは「見える」ことであり、無個性でも見えなければ無意味です。まれにオーディオインターフェースの無個性さを、モニターに使えるほど高性能である証と勘違いしている人がいますが、私は同意しません。―楽曲制作用=高音質という思い込みのせいでしょうか?確かに"スタジオ"で使われている"数十万円"の"楽曲制作用"機器は音がいいと思います。― 高性能に立脚しない無個性は本当に意味がないと思います。性能も無くて個性も無い機器なんてただのゴミです。

電源の対策

 RNHPの電源はACアダプタの形式をとっていて、24Vのものが適合します。付属するACアダプタはいかにも安っぽくてチャチな代物です。メーカーとしてはそれで十分という判断なのでしょうが、オーディオマニア的にはなにか対策をしてやりたくなります。(これは本当に悪い習性です。)

ということなので、とりあえずリニアパワーサプライを購入しました。ヤフオクで1万円くらいで入手したものです。いわゆる中華ですね。Aliexpressに類似品が山程あります。

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 音は全然悪くないです!付属ACアダプタに比べて音がほぐれてギスギス感が減り、余裕が出てきました。音がほぐれ、空間の見通しもかなり良くなりました。音色はややウォーム寄りに。ゆるりとしたサウンドです。

これに味をしめて、ifiのiPurifier DC2を導入してみました。

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 結論、iPurifierも導入した方がよいかもしれません。背景のざわめきが減り、SNがよくなりました。が低減されてとても良いです。音像が明瞭になり、細部がよりよく見えます。微妙な音が浮かび上がってくる感じです。楽器のアコースティクスの表現もiPurifierを入れると断然よくなりますね。

音を引き締め、ニュアンスの再現力を付与してくれます。ちょうど、料理にお酢とかレモンで酸味を加えると味が引き締まるような感じです。

ACアダプタ+iPurifierも試したかったのですが、電源がオンオフが切り替わり続ける現象が起こり、使えませんでした。

その他の対策

 上に書いたゴム足とシャーシの鳴きについても気になったので色々と試してみました。ここまではやる必要はないかもしれません。

ゴム足は使用せず、インシュレーターをかましてみました。インシュレーターと言ってもそのへんに売ってるただの木材なので激安です。

具体的にはケヤキと黒檀を下に敷きました。驚くことに、これはかなり効果があります!音にきれいな響きが乗って華やかな音楽性を演出できます。ゴム足でも十分ですが、木材に比べるとどうしても雑味を感じます。東急ハンズとかに売ってるただの木なので値段は本当に安いですが、音への影響は大です。千円もあれば色々買い込めるので試してみることをおすすめします。

次にシャーシの鳴き止めですが、これにも木材を使いました。インシュレーターに使ったあまりです。

f:id:CrepidA:20201003174421j:plain(実に愚かしい見た目です。)

なんかバカみたいですが、効果はあります。多分あります。木材なしでは高域に鼻につく響きが乗るのですが、木材を乗せるとそれが収まります。しかし、抑圧感のようなものも生まれるので、ここは検討が必要です。あるいはここまではやらなくてもいいと思います。

ここまで来るとバカバカしい気がしなくも無いですが、音が変わるので仕方ないですね!

まとめ

このアンプの音質は圧倒的にいいです。数十万円クラスのヘッドホンアンプと比べても遜色ないクオリティです。シングルエンドですが、そのへんのバランスよりもいいと思います。迷ったらRNHPを選ぶのも良いと思います。

電源やインシュレーターでかなり音が変わるので、試してみるといいと思います。

 

色褪せないハイエンドイヤホン K3003【AKG】 - ヘッドホンでオーディオ!

 

DC電源のアクセサリー比較 iPurifierDC2, DC power Booster mini, Petit Tank

オーディオに飽きて一年以上更新していなかったけども、最近またオーディオ熱があがってきたので少しだけブログを書いてみる。

 

 DC系のアクセサリーをいろいろ買ったけど、一年くらい放置していた。適当に聴き比べてメモしておく。

一個目は、iFi iPurifierDC2。これについては昔ちょろっと書いた気がする。

二個目は、DC power Booster miniというやつ。miniじゃないやつもあるけど、とりあえず安いminiを買った(うろ覚え)。2万円はしなかったと思う。

そして最後は、Petit Tank。一番安くて2000円もしなかった気がする。

 

環境は以下のような感じだ。

 

PC→DDCDAC→HPA

HPAはRNHPで、ヘッドホンはHD800 Mod。ヘッドホンのケーブルは102SSCとかいう線材を16本使ったやつ(たぶん)。

 で、これらのアクセサリーはHPAに使う。DCアダプターはRNJHP付属のものではなくて、中華メーカーのリニア電源である。リニア電源とRNHPを繋ぐDCのケーブルは自作品なのだが、昔作ったものなので詳細は忘れた。リニア電源にささっている電源ケーブルはChikumaのなんかで、電源タップはヤフオクで買った1万円くらいのアルミのやつだ。

といったところで、聴き比べてみる。

 ところでさ、聴き比べて感想を書くってのは結構難しいですよね。

何もなし

音が迫ってくる感じ。熱い。ノれる。

iPurifierDC2

スッキリしてて線が細い。SNが高くて鮮明だけど、音との距離がかなり離れている。高音のシャカシャカしたところはとても良く見える。鉛筆で描いた細密画的な。遠くから観察してるみたいな音。

DC power Booster mini

かなり明晰。細部までとても良く見える。だからといってスカスカな音ではないのが素敵。

Petit Tank

一番低音がゴリゴリ来るけど、スピードはいまいち。定位が微妙。

 

良かった順で並べると、DC power Booster mini、なにもなし、iPurifierDC2、Petit Tankって感じです。

何も挿さないのが最も生々しさがあって良いのだが、サウンドステージが若干ごちゃついている感じがする。DC power Booster miniは音の勢いは殺さず、その辺を整えているような印象。iPurifierはSNは高いんだけど、どこかそっけない。Petit Tankはなんかもったりしてる。

 

 ところで製品の比較ってむずかしいですよね。その製品の音がどんな音かってのは、基準となる音との差異から把握していくわけだけども、じゃあ基準の音はどんな音かっていわれると、製品Aの音との差異で定義するしかない。解釈学的循環みたいな感じでもやもや。

ともあれ以上。

 

あと、ある記事にとても嬉しいコメントをいただきました。ぜひお返事したいのですが、どうすればいいんでしょうね。

Roon+TIDAL+HQPlayerとJPLAY【オーディオ】

流行りの音楽のサブスクストリーミングを契約してみた。もちろんTIDALを選んだ。それと同時にオーディオマニアの間で評判のRoonも始めてみた。
周りを見渡してみると、友人のほとんど全員が何かしらの音楽ストリーミングサービスを契約していた。instagramのstoriesにお気に入りの曲をシェアしているのをよく見る。ストリーミングなんて・・・と敬遠していたが、聞くところによるととても便利なんだそうなので物は試しとTIDALを契約してみたというわけ。

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TIDALだけじゃ音質的には物足りない。普段はJRiver+JPLAYでダウンロードしたハイレゾファイルを聴いているので、それ相当の音で聴きたいし、それに今まで購入してきた音楽も同じアプリ内で聴きたい。いちいちTIDALアプリとJRiverを行ったり来たりするのは面倒だから。

そういうわけなのでついでにRoonも始めた。

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RoonとTIDALの組み合わせはすごい。

さらにRoonとHQPlayerと連携させることで、TIDALの膨大な曲数のうちどんな曲でも高音質で再生できる様になった。もちろん、パソコンのストレージに保存されている音楽もそのままRoonに読み込んで再生できる。

TIDALと保有する楽曲を一つのライブラリーに統合できてすごく便利になった。

また、データベースから再生中の楽曲の説明やそのアーティストの説明文を表示してくれる機能やリコメンドが適切でとても気に入った。

 

TIDALのおかげでマンネリ化していたリスニングが新鮮さを取り戻した。ライブラリからお気に入りの曲を聴くのもいいけど、未知の音楽に出会う体験はやっぱり素晴らしい。

リコメンドに任せて音楽を垂れ流しにするのが良い。流れてきた曲が気に入ったら収録されているアルバムまで辿ってみる。そして他の曲も好きだったらアルバムをライブラリに追加して、アーティストをフォローする。

こういうのを繰り返してどんどんと自分の領域を広げていくのが楽しい。

 

オーディオオタクとして気になるのはやっぱりその音質である。TIDALでは、CD相当(44.1kHz/16bit)はロスレスFLACで、ハイレゾはMQAで配信されるのでフォーマット的には申し分ない。ちなみにMQAはロスレスじゃなくてロッシー。つまりMP3とかと同じ非可逆圧縮なのです。

それではRoonの実力はどうだろうか。Roon単体で聴いてみるが、全然良い。普段のJRiverとさして変わらないように思えたが、若干JRiverの方が立体感があってよかったと記憶している。JPLAYの効果かもしれない。

 

HQPlayerは既に持っていたのでRoonと連携させてみると、すごく良くなった。やはりHQPlayerの効力はすごい!

分離感と解像度が全然違う。やっぱりフィルターのおかげなのだろうか。

フィルターはsincMとshapedでDXDまでアップサンプリングしている。HQPlayerは驚異の1536kHzまでのアップサンプリングに対応しているが、我が家のDACが受けられる最大のサンプリングレートが384kHzなのでそこまでにして置いている。

アップサンプリングの効果なのか、情報量が格段に増える。解像度、分離感もアップする。384kHzまでやると、かなり音がほぐれていい。

HQPlayerは音こそ最高だが、UIがあまりに貧弱なので常用は出来ないでいた。がしかし、roonが使えればなんの問題もない。正に鬼に金棒!

 

だめ押しにHQPlayerのASIOドライバーをJPLAYドライバーにしてみたら、更にいい感じになった。JPLAYは、音を根本的にアップグレードするというよりは”香り”を付ける程度のもの。スパイスとも言えよう。

有ろうが無かろうが言葉にできる程の大きな違いは生じない。だが、有ると矢張り音の品格が変わってくる。濃密な空気感が醸成されて、音場がふわっとエアリーに広がる。これはマグネチックウェイブガイドの効果にも似ている。

JPLAYはDACLinkの値をいじることで音質傾向を調整できる。値が高いほど音はなめらかに、安定性は悪くなる。低いとその逆で、キレのある音になり、安定性は良くなる。DDCもあるので、1000Hzでも十分安定するけど、やっぱり怖いのでかな低い数値にしてる。ちなみにこの値は環境に依存する。

 

取り敢えず持っているもの全部を組み合わせた感じ。買ったものは無駄にしたくない・・・。いわゆる貧乏性である。

なにはともあれ、万全の体制だ。HQPとJplayのおかげどんな音源が来ても対応できる。

 

TIDALやroonに手を出したということは、無限に広い非オーディオ的領域が開けたということ。ストリーミングである限りルーターやLANケーブルにも配慮しなくてはいけないし、roonはPCを数台に分けたほうが音が良いらしいので、そのへんも色々と考えなくてはいけない。

今まではHDDの音源をPCで再生するというローカルなシステムだったので、そこまで考える必要は無かったんだけど・・・。

正直、そんな広い範囲のことを考えるのは面倒だし手も予算も回らないんですよね。直接オーディオっぽいところ(DACとかアンプ)で既に一杯いっぱいなんです。ちょうど今はDAC電源ケーブルをどうしようかと考えているところな訳で、ルーターのACアダプターとかLANケーブルとか、コントロールPCと再生PCの分離とかは後回しにしたい。(余り物で武装するくらいで丁度良いのではないかと思っています。)クロックも欲しいし、HTPCも欲しいし、ケーブルも・・・、と言ってるといつまでも周辺機器までたどり着けませんね。

 

だが、楽しみが増えたとポジティブに捉えることもできるかも。

 

ネットワークオーディオは面倒だからやらないとブログに書いたけど、結局。(ネットワークオーディオとは違うかも知れないけどそのへんの厳密な定義は知りません。詳しく体系的に解説して欲しいものです。)楽曲データはNASに保存し、PCでそれを受け(TIDALも)、それからトラポに受け渡す?いやあ、ややこしいし、各人いろんな接続の仕方をしているのでどれが良いのかも分からない。ともあれ、やっぱPCは一台にしたい・・・。

 

でも結論、TIDALとroonを契約してよかった。音楽を聴くという点においてはroon+ストリーミングは最強かも。操作性も抜群に良いので。

ケーブルはオカルトか。【オーディオ】

ケーブルで音は変わるか?という疑問はオーディオ趣味につきまとう永遠の命題です。変わるという人もいれば変わらないという人もいて、掲示板ではたびたび論争になっているのを目撃したりします。

とはいえ、オーディオファンならほとんどの人がケーブルで音は変わると認識していると思います。一方で、オーディオに興味のない人は、ケーブルなどオカルトであると断定します。

ケーブル市場は、数千円の安価なものから数百万円あるいは千万円を超えるような超高価なものまで、とても広い価格範囲で展開されています。オーディオマニアならワンペアで数万円程度のケーブルを所有していても稀ではありません。しかし、一般には一万円未満のケーブルでさえ”高すぎる”と思われているのが現状です。

オーディオオタクにしてみれば、一万円くらいどうってことないという感覚ですが、今日世界で最もハイテクなオーディオ機器が三万円もあれば手に入るという事もあってか、たかだか電線ごときが一万円の大台に乗っていること自体異常に感じられるのかもしれません。

そのような人々の目には、数万円のケーブルを買い漁るオーディオマニアは異常を通り越して、およそ人ではない何かとして映ることと思います。これは、その奇妙なヒト的何かの端くれの個人的な意見を書いた記事です。

 

 

ケーブルで音は変わる?

私は変わる派です。聴き比べたら変わった(気がした)ので、それからはケーブルによる音の変化を疑っていません。

変わらない派はやはり、「科学的にそれはありえない」と断言するのですが、そういう書き込みをみていつも、なるほどと納得します。ですが、改めてケーブルを取り替えて聴き比べをすると、「やっぱり変わっている様にきこえるなぁ」と苦笑するのです。

オーディオを始めた当初は私も変わらない派だったのですが、段々と変わる派に転向して行きました。奮発して高いケーブルを買ってみたら音の変化を実感できたので、「あれ、やっぱり変わるじゃん」と。

高いものを買ったのだという心理的影響によって変わったように感じられるだけ、という指摘については、その可能性は小さいと思っています。一万数千円のケーブルから二千円の安いケーブルに乗り換えたこともあり、値段によるバイアスからは割とフリーな方の人間だという自覚があります。奮発して買った数万円のケーブルがイマイチで落胆した経験もあります。安かろうが良いものは良いし、いくら高かろうが(認めたくはないですが)悪いものは悪いと判断できると信じています。(耳がいいということではない)

ブラインドテストってどうなの?

「ブラインドテストで判別がつかないのだからケーブルに音の違いはないのだ」という言説があります。それは同時に「ケーブルに音の違いがあるなら判別可能である」ということを意味します。しかし、ABのケーブルの音に違いを感じることとABのケーブルを聞き分けが出来ることは全くの別です。

カメラのレンズにたとえてみます。一方はSummicron、一方はSuper Takumarで撮った画を比較するとします。画に差異は感じれども、どっちがどっちとズバリ言い当てるのは困難に思えます。

変わらない派の切り札ブラインドテストが、このように実に曖昧で適当な理屈の上に成り立っているなどということを指摘し続けるつもりはありません。むしろ、ブラインドテストの理屈が正しいという前提を飲んだうえで、ブラインドで違いを判別させるということが、いかに趣味をつまらなくさせるかということを書きたいです。

例えば、お酒の趣味がありますよね。ケーブルと比べるのもなんだかあれですが、ワインなんかは同じように値段の高低があるわけです。ワイン愛好家が、数千円のワインと数万円の年代物の上質なワインの味の違いをブラインドで判別しろと要求されたら?仮に判別が出来なくて、「それみろ、お前のワインセラーのコレクションはどれも違いが無くて、無駄なのだ。」と言われたとしたら。これではなんとも興ざめ、おまけに「安物と味に違いのないワインを数百万円で売るなんて、ワイン業界は詐欺が横行していてクソだな。」と付け加えられようものなら愛好家はブチギレです。

オーディオと同じく音に関わるジャンルとして、楽器はどうでしょうか。ストラディバリウスというケーブルなどとは比べ物にならないほどのすごく高価なヴァイオリンがあります。ストラディバリウスとそのへんの数十万円のヴァイオリンの差をブラインドで判別させようとし、判別不可ならストラディバリウスを無価値のものに貶めるということがバカバカしい行為というのは、明白です。

最後にもう一つだけ例を挙げます。多くの人は美術品は本物をみるべきだと感じますよね。いつかはパリのルーヴル美術館で本物のモナ・リザを鑑賞したいと思うし、だからモナ・リザが来日すれば美術館に人が殺到するわけです。仮に「実はこのモナ・リザはレプリカなんです。」と告知されようものならみんな興ざめて「なあんだ」と落胆して帰っていきます。しかし本物とレプリカの差異なんてブラインドじゃ絶対にわからない。だけど、だからといって人々がレプリカで満足することはありえません。

上記のようなことは他の実に多くの趣味についても言えます。

レンズの話に戻ると、Summicronの画はSummicronの背景にあるストーリーを含むのです。お酒も楽器もストーリー込で楽しむものなのです。レンズ(写真)や絵画、彫刻は目だけで楽しむものではないし、お酒やお料理も味覚だけで楽しむものではない。楽器、音楽も耳だけで楽しむものではないです。そこに付随するストーリーを理解した上で楽しむものだと思います。

ケーブルも同じなんです。音だけではなくて、ケーブルのストーリー、ケーブルの見た目を含めて趣味として楽しんでいるだけです。仮に音の違いがわからなかったとしても、それを含めて楽しむのが趣味です。

それなのに、なぜオーディオだけ親の仇かのように叩きまくるのか、理解不能です。オーオタだけがオカルトだのバカだのと言われるのは悲しいです。

科学的という言葉について

ケーブルを含めたオーディオアクセサリーについて、よくある批判とは次のようなものです。「そんな物で音が変わる事は科学的にありえない。」

科学的とは何でしょうか?科学の意味を広辞苑で引いてみると、「観察や実験など経験的手続きにより実証されたデータを論理的に一般化した体系的知識」とあり、現象の連続に因果律を当てはめることとも説明できそうです。
例えば、石を打つ事と火が起こる事は、そのままでは分離された事象に過ぎませんが、因果律の相の下に置くことで説明され得、法則として応用出来、「石を打てば火が起こるはずだ」という予測が出来るようになります。さらに進むと、火を見て石の打たれるを想像する事も可能ですね。

もっと単純に言い換えれば、観察と説明です。その意味で科学は帰納をその出発点として持っているわけです。そして、因果の把握のためには仮説立てと検証がセットで行われなくてはいけません。

さて、上によれば、科学的である条件の一つに実証的であることが挙げられそうです。すなわち、感覚や経験によって得られた知識に因果を与え、説明されていれば科学的といえます。また、「科学的に正しい」などという言葉における科学的は、演繹的な意味合いを持ちます。この時点で「科学的に正しい」には、すでに実証済みの体系化された理屈の存在が示唆されるわけです。

ケーブルの話に戻りますと、「そんな物で音が変わる事は科学的にありえない。」という指摘ですが、現在は”ケーブルによって音が変わる”という現象がただあるのみであり、仮説は色々あれどもいずれも実証されていないわけです。これから”科学的”に実証していこうという段階に、「科学的にありえない」と批判するのはどういうわけなのかさっぱりわかりません。未来でも見えているのでしょうか?

あるいは、「ケーブルによって、インピーダンスキャパシタンスなどの違いはあれど、それが人の耳に感知される程の音の違いを生むことはありえない。」という意味でしょうか。しかし、それによって”音が変わった”という現象の存在を否定することは出来ないでしょう。

例えば、我々が、”火打石を叩くことで火が起こる”という法則しか知らず、すなわち火は火打石によってのみ起こされうると考えているとします。ある人が火を見て問います。「火打石を打ったのは誰か。」誰も火打石など打った覚えはないと答えました。そこである人は「確かに目の前には火があるが、火打石が打たれていないのだから火など起こるはずはない。よって、この火は存在しない。」と断定しました。

こんなの納得出来るはずがありません。なぜなら火は目の前に確かに存在するのです。いくら思惟によって否定を試みようとも、それは不可能なのです。(少なくとも科学ではだめです。自家撞着に陥ります。)

科学は未知の領域を押し広げていく営みですし、絶対はありません。全ては暫定的で、いつでも塗り替えられる可能性があります。しかし、今の世の中には科学万能主義が蔓延しています。それは悪い意味で科学を万能視するもので、すなわち「科学によって説明できない事柄は無い」という認識が生まれ、そこから転じて「科学によって知られていないものは存在していないも同然」という重大な誤認が発生します。

確かに、科学はいずれ、真に全ての事、宇宙の一切の事すなわち森羅万象を説明できるようになるかもしれません。そうなれば、必然的に科学で証明されていないことは存在しないということになります。でもそれは未来の話で、現在はわかっていないことが沢山あります。

科学を絶対視し、科学的知の外側には何も存在しないと考えるのは、もはや宗教です。わからないことはわからないと認める謙虚さが科学の特徴でもあります。

 

「科学的に正しくない」よりももっと適切な言葉があります。「科学的にはまだ説明が出来ない」というものです。

 

残念なことに、科学を盲信してしまっている人たちというのは一定数存在します。測定値のみが音質の良し悪しを決める唯一絶対の指標だと思っている人たちです。

「ケーブルを変えたところで測定値には影響しない。だから音の変化ない。」「このアンプはあのアンプよりも測定値がいい。だから音も良いのだ。」など。これらの文言はなにも私が捏造したものではないのです。実際に言われたこと、どこかで見聞きしたことです。

しかし、測定値は良いのにひどい音しかでない製品や、測定値に影響を及ぼさないのに音に影響するケーブルの存在から考えるに、人の官能は測定に反映されていません。そしてだからどんなオーディオ製品も最終的には人の耳によってテストされるのです。

ケーブルの音が変わる要因

どうしてケーブルで音が変わるのかは正直よくわかりません。

導体のマテリアル、その純度が音に作用しているという考えはかなり一般的です。例えば銀ならクリアーでハイ寄りで、銅はニュートラルとかです。金やプラチナやパラジウムなどの貴金属を用いたケーブルもよく見かけますので、音に影響があるのは確かです。

振動によって音が変わるという話もあります。アンプやDAC、電源タップのインシュレーターを交換で音が変化した経験があるのでケーブルについてもありえなくはないと思っていますが、拙宅の環境ではよくわかりませんでした。

ケーブルのストラクチャーによる変化も有り得そうです。撚線は高域寄りで細身、単線は中低域がよく出るとか。Nordostで有名な空気絶縁や、Cardasが工夫している線材の配置なんかがそれです。

いずれも眉唾ものですけど、微細領域の変化が最終的に私達に感知される音に影響を及ぼす可能性は大いにあります。

www.head-fi.org

まとめ

やっぱりオーディオは何をやっても音が変わります。ケーブルはもちろん、アンプの下に敷くインシュレーターやボードでも。だけれど、こういうことを言うとオカルトだなんだと言われてしまうんですよね。残念ですけども。

HD650 DMaaの音 part.1

以前から欲しかった、Sennheiser HD650のDMaaチューニングモデルを手に入れたので、第一印象をメモ程度にブログにします。

イントロダクション

DMaaのことは、ヘッドホンマニアで知らぬ人はいないと思います。DMaaとはずばりHD600シリーズに改造を施して音質を改良するというサービスです。

DMaaによるチューニングがなされたHD650は非常に音が良いと評判なので、私も一度手にとって評判の理由を確かめてみたいと思っていました。噂によると、HD650DMaaは無色透明のモニター的サウンドで、中庸。シャープかつ高解像度。さらに音楽的にも優れているのだそうで、非常に興味がありました。

当然、非公式の改造なので店に試聴機が常設されているわけでもなく、自らDMaaに連絡を取って改造を依頼するというのが普通のやり方になるのですが、どうやら今は連絡がつかないらしく、誰かの中古品を買うしか方法がないらしいのです。その中古品も品数が少なく、数ヶ月に一回程度オークションに出品される程度です。

この度は運良くオークションに出品されているところを見つけ、落札しました。個人的には結構高い値だと思ったのですが、リセールバリューもそこそこあるだろうというと算段して買ってしまいました。

結論から言うと、あまり良いとは思えませんでした。

HD650

HD650は2003年に発売されたヘッドホンで、今でも名機と名高く使用者も多いです。HD650以前にはHD600が、更にその前にはHD580があり、HD600系の始まりはHD580の登場した1993年にまで遡ります。その時点ですでに基本的な設計は完成しており、細かな性能向上やチューニングの変更はあれど、それが今まで受け継がれています。

HD800が登場するまでの間、実に長い期間HD600系がラインナップの頂点に君臨していました。HD580から数えると実に16年です!

ゼンハイザーの現行ハイエンドはHD800SとHD820ですが、HD800系は2009年のHD800から始まり、2018年のHD820までの9年間使われています。ゼンハイザーのドライバー10年以上使い続けることを前提として設計開発されているようで、本当に凄いです。

さて、HD650の音についてなのですが、この機種には熱烈なファンは居るものの、音質的には批判も多く、「低音過多」「もこもこ」「こもってる」とか言われていたりします。長時間のリスニングに適したチューニングがその様な批判を招いているようです。アンプ強化やケーブルの変更で改善はされますが、根本的な傾向は変わりません。

しかし、低音の質は唯一無二の特徴です。深く頭全体を覆い込むような低域です。HD800ではこの様な低音表現は全く無くなって、か弱く、遠くで上品に鳴っているだけのものになってしまいました。

なんとも賛否の分かれるサウンドのヘッドホンでした。

DMaa

DMaaとはDelrimour Modern audio acoustikの略だそうです。HD600やHD650を改造してくれる工房です。ほとんど全てのヘッドホンはドライバー単体で音を作っているわけではなくで、それを収める筐体たるハウジングや周辺のフィルターなどを総合して一つのサウンドを完成させています。HD650とて例外ではなく、様々な素材のフィルターが組み合わさって、あの特徴的な低域よりのゆったりサウンドが出来ているのです。DMaaではそれらフィルターやパーツを吟味調整し、音を矯正しています。

 

ヘッドホンのチューニングはとても困難な作業です。膨大な時間をかけて好ましい音を判断するのであり、経験が物を言う世界だと思います。

私も素のHD650を自前でチューニングしようとしたことがあります。ドライバーの前にあるスポンジ状の音響フィルターを適当な素材に交換するとかそういう程度のものでしたが、ものすごく頭を悩ませました。素材を変えることで当然音は変わりますし、それを認識することも出来ます。しかし、”どれが一番好ましいか”と言われると途端にわからなくなってしまいました。それで結局デフォルト状態に戻したのです。

一つの音を作るということは、鋭い聴覚、粘り強い精神、そして経験と技術を要求する仕事なのであって、私のような素人が思いつきでやってもうまくはいきません。まして、DMaaのように全ての人にとって好ましい音を作ることは更に困難だと思います。

と、DMaaは素晴らしい仕事をする優秀なエンジニアのいる工房だったのですが、突然連絡のつかない事態になってしまったようです。某掲示板や価格.com掲示板、Twitterでも同様のトラブルが報告されています。入金後に音信不通になった人もいれば、普通に連絡がつく人、そもそも返信が来ない人など、複数パターンが有ったようですが、今は完全に音信不通らしいです。私も一度メールを送りましたが、返信来ずでした。

HD650 DMaaの音

今回手に入れたモデルはAuthentiktと名付けられたチューニングメソッドの適応されたものです。HD650の様なロングラン製品ともなると、マイナーチェンジが重ねられ、製造年代によって部品や音が少しづつ違うのだそうです。そのため各年代のHD650に合ったメソッドが開発されています。

Golden Eraと呼ばれる特定の期間があり、その時に製造されたHD650は音質的に最も優れているのだそうです。非GE機と比べるとかなり大きな差になるとか。GEのDmaaモデルは数が少なく、めったに見られないレアアイテムです。

前もってことわっておきますが、この記事でのレビューは標準的なHD650のDMaaモデルにSennheiser純正ケーブルを装着したときの音の感想になります。GEモデル+DMaa製ケーブルとは雲泥の差があるかもしれません。

ちなみにDmaa製のケーブルも非常に評判がよくて、ぜひ手に入れたいと思っているのですが、ヘッドホン本体以上に数が少なく、相当な入手困難品です。機会があれば買いたいです。

 

さて、その音質なのですが、冒頭でも述べた通り微妙でした。

なるほど、色付けが少ない、個性のない、無色でモニター的な音がします。RNHPと相まってソースに含まれている物をそのまま素直に出力しているようです。中庸という言葉がよく似合います。ブライト過ぎず、ダーク過ぎず、本当にバランスが良い。

非改造HD650の、陰鬱なアトモスフィアは消えて、高域が前に出てきているのを感じます。低域も引き締まり、あのバスレフっぽいボワつきとややディレイのある、頭を包み込むような低音ではなくなりました。素早く、それでいて深い低音です。この低域のラティチュードは唯一無二だと思います。

しかし、キレッキレの高解像度だとは思いません。分離もほどほど、霞がかかっていて見通しもそこまで良くない。40mmの小型ドライバーゆえか、定位感はすこぶる良いのですが、細部の描写力に欠きますね。ドライバーの性能の限界でしょうか。

DMaaのチューニングは性能を劇的に向上させる魔法などではなく、あくまでもHD650の本領を発揮させる程度のものなのだと認識させられました。

HD650の純正ケーブルはそこまで音が良くないというか、フォーカスをぼやけさせることを知っているので、リケーブルでどこまで変わるのかが気になります。

 

総評としては、音のバランス、低域の深さと階調は素晴らしいが、分離やディテイルの描写力に不満が残る、といったとろこです。帯域のバランスが良く、色の無さは今までに感じたことのないレベルで凄いのですが、純粋な性能は期待ほどではなかったということでした。

HD650DMaaを絶賛している方々は、現代的ハイエンドの音とはまた違ったところにある良さを評価していると感じました。それはヴィンテージ的な良さといいますか、純粋な性能ではないなにかです。古いJBLのモニタースピーカーやALTECのイメージです。

解像度、繊細さは上位のHD800の方が上でした。

 

HD820の試聴インプレッション - ヘッドホンでオーディオ!

色褪せないハイエンドイヤホン K3003【AKG】 - ヘッドホンでオーディオ!

不良品ばっかり。eイヤホンの中古

eイヤホンで中古のケーブルを購入したのですが、見事に不良品でした。特にクレームを入れたりはしていませんが、一応ブログにします。

 

具体的な商品名は伏せますが、あるイヤホン用のケーブルを購入しました。不具合の内容というのは、片側からの出音が途切れ途切れになるというものです。ほとんど断線しかかっている様だったので、すぐに店に問い合わせ、返品しました。今回は幸いにも前回のような係争もなくすんなりと返金対応されたので良かったです。

買った商品が不良品というのはしばしばです。中古品の検査が杜撰なのか知りませんが、ちゃんとしてほしいです。

「客に渡す前にチェックしないのか?」と思いましたが、多分していないのだと思います。

 

eイヤホンは、取り扱ってるものに興味がないので普段はあまり利用しないのですが、不良品を引き当てる率が結構高いです。

一方でメルカリやヤフオクでは一度も不良品に当たったことはないのです。個人取引はトラブルに遭う確率が高そうなイメージですが実際は逆で、個人の方が誠実に対応していたりします。メルカリ・ヤフオクでは出品者の不誠実は評価としてあらわれ、売上に直結するので、皆さん慎重になっているのだと思います。

 

もしかしたら利用を控えたほうが良いお店なのかもしれません。

【eイヤホン】不良品をごねまくって返品した話【初期不良】 - ヘッドホンでオーディオ!

オーテク新製品 AT-BHA100 & AT-DAC100に思うこと【ヘッドホンアンプとDAC】

先日、日本のaudio-technica(オーテク)からヘッドホンアンプとDACが発表されました。

よくあるDAC兼HPAの複合機ではなく、完全に独立した単体の機器として、幅広い組み合わせの柔軟性を持ち、少し踏み込んだマニアにも十分求心力のある製品かと思います。が、これら2つの新製品を眺めているうちに気になる点(というか謎)がいくつか出てきたので、ここに大いに批判したいと思います。

AT-BHA100

こちらがヘッドホンアンプです。主な特徴はプリ部に真空管を用いていること、二種類のバランス出力に対応していること、ヘッドホンを二台同時にドライブできること、暗いでしょうか。プリ部に真空管を用いたトランジスタとのハイブリッドはよくあるデザインで、珍しいと言うほどのものでもないと思います。

バランス回路は随分と凝っているらしく、よくある「バランス出力には対応しているけど実は内部はアンバランス」ということではなさそうです。好感の持てる設計ですね。

https://www.audio-technica.co.jp/upload/contents/product/AT-BHA100/5f7c1e81067da275282043.jpg?xz=19110707-P(公式から引用)

バランス入力に対応しているので、バランス出力のあるDACがあればフルバランスのシステムを構築できそうです。電源はACアダプタですね。iPurifierDCが活躍しそうです。

ぜひ音を聴いてみたいです。

 

これは割と良さそうです。ヘッドホンアンプとしては真っ当ですし、ユーザーのバランス入出力のニーズにもこたえています。13万円程度の価格というのも、音を聴いてみるまでは高い安いの判断はできません。強いてケチをつけるならデザインがダサい点くらいでしょう。

AT-DAC100

このDACが中々に謎です。

まず、デザインが酷い。

https://www.audio-technica.co.jp/upload/contents/product/AT-DAC100/5f7c2c4ae1838464764856.jpg?xz=19110707-P

なんですかこれは。はじめWi-Fiルーターかなにかかと思いました。これはダサすぎます。良く言えば業務用っぽい無骨さがあり、かっこいいといえなくもないですが。いっそラックマウントでも付けたほうが良かったのではないでしょうか。

https://www.audio-technica.co.jp/upload/contents/product/AT-DAC100/5f7c2bb1206ca679137015.jpg?xz=19110707-P

公式ページから引用したイメージです。洒落た木材基調の温かみのある生活空間にこれらの製品が配置されるのは明らかにミスマッチに思えます。

768kHz/32bitのPCMと22.4MHzのDSDに対応しているらしいです。市場にあるほぼ全ての音源に対応できるという点は評価できるかもしれません。

値段はおよそ9万円。その値段に見合ったDACチップやオペアンプなどの部品が使用されているかについては、甚だ疑問が残りますが、重要なのは音ですね。

 

ここからが、私が感じた一番の疑問です。

 

https://www.audio-technica.co.jp/upload/contents/product/AT-DAC100/5f7c327dba2e1033708422.jpg?xz=19110707-P

 背面のイメージです。USB TypeB、Coaxial、Opticalと主要なデジタル入力は全て備えられており、親切にもUSB TypeC入力さえもついています。一方で出力については、一般的なライン出力のみで、バランス出力がありません。この点、謎です。

真空管アンプにマッチしたチューニング

真空管アンプは、組み合わせたD/Aコンバーターの高周波ノイズが真空管に影響を与え、アンプのノイズ性能が劣化しやすい特性があります。本製品では独自のチューニングにより、D/Aコンバーターの高周波ノイズ流出を抑え、ハイレゾ音源が本来持つ高品位な再生を実現します。特に AT-BHA100 との組み合わせに最適です。

公式サイトからの引用です。同時に発表されたAT-BHA100と組み合わせるのが最適とのことです。明確にこのように宣伝されていますし、公式サイトのイメージからもこのAT-DAC100がAT-BHA100と共に使用されることを前提として開発されているらしいことはわかるのですが、それならなぜバランスアウトを設けなかったのでしょうか。

さんざん、AT-BHA100のバランス回路のこだわりを宣伝しておきつつ、同時使用を想定したAT-DAC100にバランスアウトがなければ、フルバランス構成にはなりません。

これはとてももったいないことだと思います。DACにバランスアウトを設けることで得られる音質向上がコストに見合わない微々たるものだったのか、ただの手抜きなのかは知りませんが、ユーザーとしてはもやっとするところがあります。

真空管とバランス回路の独立性に拘ったHPAと、そのHPAとの相性に拘った、しかしバランス出力は無いDAC。なんとも不和です。

まとめ

ヘッドホンアンプの方はかなり良いと思います。トレンドに対応していますし、真空管トランジスタのハイブリッドも個性があってよいです。

しかし、デザインがあまり良くない。もう十年以上前の製品ですが、同社のAT-HA5000なんかはいかにも高級オーディオらしくてすごくかっこよかったです。これと比べると今度のAT-BHA100はチャチでつまらないですね。

https://www.audio-technica.co.jp/upload/contents/product/AT-HA5000/product_image_1585022425.jpg?1585022425

 HPAと組み合わせる前提のDACラインアウトしか装備していないというのが一番残念でしたね。なにゆえバランスを省いたのかはわかりませんが。

この記事は外観を見て思ったことを書いたのみです。音の方は一度も聴いていないので、これらの機器を試聴する機会があれば、そのときに追記したいと思います。

 

Rupert Neve Designs RNHP レビュー【ヘッドホンアンプ】 - ヘッドホンでオーディオ!

 

ポータブルオーディオと据え置きの違い

ポータブルに関しては門外漢なのであまりこういうことを書くのは憚られるのですが、思ってることを少し言います。情報が間違っていたり古かったりしたらごめんなさい。完全な私感なので、「これは違うよ!」というのがあったら指摘お願いします。

 

最近は、ポタ界は多面型の個性追求型で据え置き界は集中型で性能追求型という風に分かれていると感じてます。ポータブル即ちイヤホン+DAP or ポタアンは、機材の個性を重視して、ある楽曲やジャンルに特化したシステムを複数所有しているのに対して据え置きではある意味定量的な性能を表すパラメーター(SNとか解像度とか分離とか)を重要視しているように思います。

今のイヤホン愛好家の方々は、多方面展開というか多角経営というか、すなわち複数の機材で音質を追求するタイプです。

イヤホンとDAPという、小型軽量な機材であれば多数所有していてもスペースを取りませんし、使い分けるのも簡単です。小型で使いやすいから、消費者はイヤホンを複数個所有してそれを聴く音楽によって使い分けることが出来、だからメーカーが乱立しては一年あるいは数ヶ月ごとにハイエンドラインを更新していくのだと思います。

一方で、据え置きとなるとそうした大量の機材を使い分けるのは困難になってきます。スピーカーを複数台用意して使い分けることは普通の人にはまず無理です。場所の関係もありますし、各システムに一定以上の音質を求めると出費が莫大になります。あるいはスピーカーを頻繁に買い換えるというのはどうでしょう?以前のものを売れば金銭的な負担もあまり大きくはなりません。だとしても、それをする人は少ないのではないでしょうか。スピーカーを入れ替えるというのは相当面倒くさいです。

そこで、据え置き界では一つのシステムにお金を集中させて、オールラウンダー的システムを構築することを迫られます。どんな音源にもマッチさせるためには個性は極力薄くして、基礎的な性能を追求することに終始します。ここでは個性はどんな音源でも破綻なく鳴らせる基礎性能があって初めて成り立ちます。

気軽に機材を入れ替えられるからこそイヤホン界では基礎性能を無視した個性重視のハイエンドが成立すると思います。アニソンはめちゃくちゃ良く鳴るけどクラシックは最低とかその逆とかです。

多面型と集中型のどちらが正解ということもないのですが、個人的には多面型のほうが正解な気がしています。据え置きでは、いくら厳しく性能を追求してもその視野には限界があります。一つのシステムでは音源のすべてを見渡すことは出来ないので、複数個のシステムをもって音源を観察するのが良いです。でも何度も繰り返しになりますけど、絶対的な高性能に立脚せず音の個性ばかり求めるのは砂上の楼閣です。

イヤホンは上にもあるように玉石混交で、値段に見合った音質の製品もあれば値段不相応のひどい音しか出ない製品もありました。それもイヤホン市場が隆盛しているということの証左であるとも考えられ、それはとても素晴らしいことだと思います。いずれその高価な値付けに見合わない低品質な製品は淘汰されるはずです。

多ドラ、マルチBAって音質悪くないか? - ヘッドホンでオーディオ!

JPLAYとJRiver -JPLAYをやめた理由-

PCオーディオの世界はなかなか奥が深く、パーツ一つ、ソフトウェア一つをとっても音がかわる。様々な音質変化要因が複雑に絡まり合うPCオーディオの世界だが、音楽再生ソフトの選定は、その中でも最重要事項と言える。

再生ソフトはオーディオシステム全体の音質に対する強力な支配力を持つ。それ故に最重要事項なのである。また、普段のリスニングの快適さを決めるのもこの再生ソフトである。音質と快適さ、2つの観点で自分にぴったりのものはなにか。それを選定するのは、長い吟味の時間を要する作業だろう。

私も大量のソフトを有料無料に関係なくとっかえひっかえ試してきた。その中でも最も気に入り、愛用しているのはJRiverである。JRiverという選択はもちろん、長い吟味の末にたどり着いた答えである。

種々多様の再生ソフトたち。どれを選んで音楽の相棒にするかを決めるのはそう簡単なことではない。

 

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そのような音楽再生ソフト界で最も良いとされているものがある。それがJPLAYだ。

ネット上の評判もすこぶる良いし、実際の音も非常に良かった。PCオーディオでハイエンドを目指すなら避けては通れぬ道だと感じる。

出音はまさにハイエンドらしい雰囲気をまとっている。第一に空間表現が抜きん出て素晴らしい。そして細部の描写力も非常に高い。音色の面で言えば、若干の色彩感とコントラストはあるものの、強調しすぎることはない。また、出音は柔らかいが、かといってぼやけてはおらず芯のある靭やかさがある。

とても自然な音であり、個性もある。全くハイエンドらしい傾向だ。

 

このJPLAYと比較できる音楽プレーヤーは、HQPlayerか、Bugheadくらいだろう。

HQPlayerはフィルタを様々切り替えて遊べるとても楽しいソフトである。とくにsinc-Mというフィルタの音が非常に良くて、気に入っている。sinc-Mを使ったときの描写力はJPLAYを上回るものがあると思っている。しかし、UIに使い勝手の悪さが残る。その点で、これを常用するのは厳しい。

次にBugheadだが、こちらの音も極めて良い。JPLAYよりも個性は薄めで、中庸を守っている。奥ゆかしく、まことに自然な音だと思う。しかしながら、こちらもHQPlayerと同じ問題点を共有している。

音楽を一曲一曲丁寧に聴くのであれば、HQPlayerとBugheadは最良の選択肢の一つであろう。

 

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ここで私の音楽再生ソフトの選定基準について語る。

第一条件は、安定性である。ノイズが乗らず、音が途切れず、どんなときでも安定して音がでることが最も重要なことだ。

音楽を聴く時はリラックスした状態で過ごしたい。音が出るか出ないかとか、ノイズが出るかどうかとか、そういうギャンブル的要素の不安のためにリラックスタイムを台無ししたくはない。

第二の条件は、ライブラリ性能が高いことである。好きなときに、好きな曲にいとも簡単にアクセスできる自由さと素早さが肝心である。

私の音楽の聴き方は、普通とは少し違うかも知れない。アルバム単位でじっくり聴くことはすくない。PCをいじりながら、気の赴くままに曲を次々と聴いていくのが普段の聴き方だ。一曲を聴き終える前に次の曲を再生し始めるのも、私にとっては普通のことである。それを実現するためには高性能なライブラリ機能とUIが必須なのだ。

最後に考慮するのは、音質である。冒頭で強く再生ソフトの音質への影響を語っておいて、優先順位が最も低いとは少し変な話ではあるが。もちろん音が良いことに越したことはない。だが、安定性の高さや、UIの使いやすさに優先することは決して無い。

いくら音質が良かろうとも、すぐに音が途切れたりするようでは音楽の時間の妨害者でしかない。

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タイトルにもあるように私はかつてJPLAYを使っていた。その圧倒的な高音質に魅了され、そして使うのをやめた。

安定性の悪さとライブラリ機能および操作性の貧弱さが問題だった。

 

プチっとノイズが乗ったり、再生が出来ずに設定を見直したりPCを再起動するといったこともしばしばあった。興ざめである。音が出ない原因を探り、音が出るまでを確認するだけで、疲れてしまい、音楽を聴くどころじゃない。

 

JPLAYにはいくつか設定事項がある。JPLAY FEMTOになってからは随分と簡略化されてわかりやすくはなったものの、使用環境によって設定をいじる必要があり、これがかなり面倒くさい。ある人の環境ではうまくいくのに、またある人の環境ではうまくいかないというようなことがとても多いのだ。だから各人、自分のシステムに合った設定を探る必要がある。

 

たとえば、JPLAYの設定パネルには、EngineとDAC Linkという項目があり、これらの設定が音質を決定する。そしてDAC Linkが曲者である。Engineはどれを使っても安定はする。Xtreamであろうと、ULTRAstreamであろうと関係はない。しかしDAC Linkは違う。音質に支配的でありながら同時に安定性をも支配するのである。

DAC Linkの値を下げればそれほどシビアにならずに済むのであるが、それをするならJPLAYの魅力は大幅にそがれてしまう。

というのも、私にとってはDAC Link 1000Hzが最も良く聴こえた。上記の音質の評価も1000Hzでの評価である。この値は高くなるほどに、出音は滑らかで生々しくなる。しかし、同時に不安定さもましてくる。逆に低くなると、ストレートでエッジの立った音になる。

ここは各人の好みなのであるが、私にとっては1000Hzの音が至高であり、ここを妥協するならいっそ別のソフトでもよいと思うのだ。

そして、ライブラリ機能の問題であるが、これは半ばコントロールアプリに依存する。いくつかのAppを試したが、どれも好みに合わなかった。

最も使いやすかったのはBubbleUPnPだったが、Android専用である。私はAndroidをメインに、iPhoneサブにした二台持ちをしている。BubbleUPnPを使うとなると必然的にメイン機を使用することになるのだが、これはあまりにも気に食わない。メールの通知やSNSの通知が常に表示されるのがメイン機である。そういったものをリラックスタイムに持ち込む気にはなれない。

iPhoneに対応したAppではfidataがデザイン性も良くて一番気に入っていた。だが、使いやすさではBubbleUPnPに一歩劣る感じで、またカバーアートがうまく表示されなかったりもして、うまく馴染めなかった。

 

加えて、私が音楽を聴く主な場所はデスクである。PCでネットサーフィンをしながら音楽を次々と聴いてゆくのが私のリスニングスタイルだ。ともなれば、操作はPC上で行うのが最も効率が良い。キーボードのショートカットで瞬時にタブを切り替え、次に聴く音楽を選び、またChromeへと瞬時に切り替えられるのが理想である。JPLAYのようにスマホのAppで操作するタイプでは、いちいち傍のスマホに手を伸ばす必要があり、面倒くさい。この些細な動作の積み重ねが、なんとなくストレスなのである。

安楽椅子に腰掛け、数メートル先に設置されたスピーカーからの出音に耳を傾けるような、ピュアオーディオ的リスニングスタイルとは相性がいいが、私のような人間には合わない。
最後にもう一つだけ理由を付け加えるとしたら、天井が見えない事だ。ネットワークオーディオしろPCオーディオにしろ、極めようと思えばきりがない。多岐にわたる音質対策を施すのは面倒くさすぎる。音楽再生とは直接関係のなさそうな部品や機材にまで注意を払う必要がある。例えばCPUの型番やメモリ、MBのVRMのフェーズ数、SSDの型番、それを接続するSATAケーブル・・・。それは個人的には違うなと感じた。

JPLAYに手を出してしまえば、否応なしにその世界へと引きずり込まれてしまうような気がした。

最も望ましいのは、単純な構成のPCとDACだけで完結するオーディオである。

JPLAYの想定する使用法と私の使用法が合致しなかったということに落ち着くだろうか。

 

そして今はJRiver Media Centerを使っている。JRiverにJPLAY Driverを組み合わせが最も使いやすく、音質も良い。

以前ほどプチノイズに気をつかわなくなったし、設定いじりに腐心することもなくなった。よって音楽、オーディオとは本質的に無関係なところに手間暇をかけることもなくなった。

JRiver単体では音質面に一抹の不安が残る。そこで、JPLAY Driverを当ててやることにした。

薄曇りの音に、JPLAY Driverによって鮮やかさと深みが加わり、満足のいく音質になった。それでも、JPLAY FEMTOの鮮烈な音には敵わない。だが、安定性と利便性を考えたら、この方法が一番良い気がした。

 

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JRiver+JPLAY Driverでもう十分に満足した。抜群の安定性と使いやすさ、そして普通以上の音質。その他に求めるものがないといえば嘘になるが、その求めるものが時間的、金銭的なコストに見合う音質を提供してくれるかどうかがわからない以上、深入りするのはやめておくことにする。

【オーディオ】オーオタは音楽を聴いていない?よくあるオーオタ批判について【異常】

この世にはオーディオ機器を複数個所持していて、オーディオが好きな人、いわゆるオーディオオタク略してオーオタという生き物がそこそこの数生息しているのですが、一般人からの反感を買いやすいらしく、彼らに対する批判がいくらか見受けられます。

「オーディオオタクは音楽を聴いていない。」というのもそういった批判のうちの一つです。これがどういう意味かといいますと、あくまでも私の予想に過ぎないのですが、「オーオタはオーディオの音を聴いているだけで音楽を聴いていない。」とか「オーオタはオーディオに気を遣いすぎて音楽を楽しめていない。」とかそういう意味なのだと思います。

しかし、こういう意見には、私は同意できません。彼らはオーオタのオーオタという一側面だけを取り上げてこういった批判をしているだけに過ぎないのです。本来、オーディオは音楽を再生するいち道具に過ぎません。主役は音楽であってオーディオではありえず、永遠にこの関係が逆転することはありません。

およそすべてのオーオタたちは、音楽好きが高じてオーディオをはじめたはずです。音楽が好きだから楽器を始めた、作曲を始めた、というのと同じようなもので、音楽を愛する気持ちの発露の方向性が違うだけのことに過ぎず、オーオタの本質は演奏家や作曲家などと何ら変わりありません。

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では、なぜこういった批判がオーオタだけに寄せられるのでしょうか。

音楽は、かつての上流階級による独占から大衆の手に取り戻されました。今や誰もが、どこでも音楽を楽しめるようになっています。音楽はYoutubeなどで無料で聴くことができ、またSpotifyのようなサブスクサービスの登場により月々1000円という価格で数千万曲という膨大な音楽を手にするようになりました。大量に音楽を聴く、音楽愛好家は、一曲あたり数円という超低価格で音楽を浴びるように聴くことができます。音楽をほぼ無限に、ただ同然で楽しめる時代なのです。

このように音楽に対するハードルがとても低くなったここ最近の社会に身を置く一般人の目には、オーディオ(音楽を聴く装置)に数十万円という大金を払うということはかなり異質、いや異常にうつってもおかしくはないです。

しかし、異質なものを叩くという人間の排他的な心理だけでは、上記の「オーディオオタクは音楽を聴いていない。」という批判に至ることはないと思います。せいぜい「オーオタは頭がおかしい。」とかその程度の批判にとどまるはずです。オーオタは音楽を聴いていないなどという風な批判はあまりに飛躍しすぎています。

そこで考えられるのが、”嫉妬心”です。すなわち、高価なオーディオを買えない者(批判者)の、高価なオーディオを買えるもの(オーオタ)に対する嫉妬の気持ちです。

これは、音楽を高音質で聴きたいという願望の裏返しです。しかし、自分にはとても高価なオーディオ機器は買えない。だから自分とは対照的なオーオタ批判を繰り広げ、オーオタ及び高級オーディオを貶すことで自己を正当化しようとします。これは”酸っぱい葡萄”と同じです。「俺達は音楽を純粋に楽しんでいるんだ!」などと言ってオーオタと自分を対比させて、仮りそめの優越感を得ているわけです。そういう批判は滑稽です。かなり必死感が伝わりますし、心の余裕が無いように見えてしまいます。

当たり前ですけど、オーディオに興味がない人はオーオタに興味なんか持ちませんし、それならばオーオタ批判もするはずがありません。つまるところ、彼らは、本当はオーオタが羨ましいのです。

とはいえ、オーディオが買えないというのは普通の感覚です。オーディオは高価な物で、良い音楽鑑賞を目指すのなら、10万円、20万円は基本です。たかが音楽を聴くための装置に20万円というのは馬鹿げているように思えるのは当然なのです。日本の大卒初任給が18〜20万円ですし、平均年収は400万円程度でから、20万円というのは年収の5%に相当します。当たり前ですけどめちゃくちゃ高いです。一般人にとって、オーディオ機器をぽんぽん買うのは普通に考えて無理です。私もおいそれと買うのは無理です。

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それでは「オーオタは音楽を聴いていない。」という批判に少し反論したいと思います。

そもそも、普通に音楽を聴いています。初めの方にも書いたように、オーディオはただの音楽再生装置です。どんなに高価であろうとその域をはみ出すことはありえません。仮に彼らの主張を受け入れるとすれば、オーオタは突然オーディオを始めたことになります。オーオタも元は一般人なので、オーディオとの接点もなしにオーディオを始めるとは考えづらいです。一般人が突然オーディオ機器を買いまくるようになるというのはかなり不自然なことだと思いませんか。むしろ、音楽を接点にオーディオに触れてオーディオに興味を持った、というふうにう考えるのが自然です。

やはり、オーディオは音楽なしでは成り立たないので、いかにオーオタたちがオーディオについて語っていたとしても、それは音楽をより良く聴きたいという願いからのものなのです。

音楽の大衆化に伴い、音質は劣化し続けています。音楽とは、始めは生演奏であり、次にレコードやテープといったものに記録されるようになり、CDにデジタルで記録され、2000年代にはいよいよ音楽は家を飛び出し、文字通り人々の手の中に収まるようになりました。貧弱なストレージのために音楽は圧縮され、今ではストリーミング再生時の通信容量節約のために圧縮されます。音楽の大衆化の歴史は音質劣化の歴史と殆ど同義と考えても良いと思います。

そして今や音質に気を遣う人はいよいよ少なくなっています。劣悪な音質に耳がなれてしまったからです。それでもどこかに「いい音で音楽を聴きたい」という思いは残っていて、それがために”付属からのステップアップ”と称したイヤホンたちも売れるのです。

そういった思いが極度に肥大化したのがオーオタであり、それを批判するのはどうかなと思います。誰でもオーオタの素質があるのです。その素質は普通、様々な制約のために、発芽することはありませんが。

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しかし、オーディオが好きなのも事実です。オーディオをいじくり回して、音の変化を楽しむ、試行錯誤することも音楽と同じくらい楽しいし好きです。こういう傾向、すなわち手段(音楽という目的に対するオーディオ)を目的化して楽しむ事はオーディオに限らず、どこにでもあることです。例えば、自作PCという趣味がありますが、PCはある目的、動画編集とかゲームとかのための道具です。車やバイクという趣味もあります。本来、車は移動手段で、目的は移動することなのですが、車そのものが好きでいじくり回してカスタムしているという事は普通のことですし、非難もされません。極端な話をすれば、ファッションもこういったことと同じです。服は身体を寒さや日差しから守り、健康を保つことを目的とした、手段に過ぎません。手段と目的の関係を忠実に守るのであれば、全人類はジャージを着るべきです。ジャージは動きやすくて便利ですから。しかし、世間はそうではありません。街に繰り出せば、種々多様の服に身を包んだ人々の往来を目にすることが出来ます。なぜでしょうか?けだしそれは、ファッションが自己表現の一種として認められているからです。車もそうです。車が純然たる移動手段であるならば、全人類はプリウスに乗るべきです。

自己表現は人の自然な欲の一つであり、人は様々な形で自己を表現します。

同じように、オーディオもそういった自己表現と自己実現の一種だとは考えられませんか。人それぞれ音楽の好みも違えば音の好みも感じ方も違うわけで、完全に同じ機材を選ぶことはなかなかありません。Twitterで自分のオーディオを晒しているのを見るに、オーディオも自己表現であると考えても良いかと思います。

 

かなり飛躍してしまいましたので、この辺にしておきます。

まとめると、オーオタは普通に音楽を聴いています。当たり前です。

あと、あたかもオーオタ全体を代表するかのように発言してしまいましたが、これらの反論は飽くまでも私個人に関係することであって、オーオタの普遍的な心理ではありません。

 

ケーブルはオカルトか。【オーディオ】 - ヘッドホンでオーディオ!